Jelalong川流域社会の共有林 ―プラオとは何か

Jelalong川流域社会の共有林 ―プラオとは何か
祖田 亮次(大阪市立大学 文学研究科)
竹内 やよい(国立環境学研究所)
石川 登 (京都大学 東南アジア研究所)

1.プラオとは何か
 プラオとは、イバン語およびマレー語で、文字通りには、海に浮かぶ「島」を指す。しかし、イバン語では、焼畑後の休閑林が広がる中で、島のように点在する分厚い森を指す言葉としても用いられる。イバンの集落の範囲内には、多くの場合、プラオと呼ばれる森が残されており、それは、水源地として保護されていたり、ロングハウス建設時の建材調達の場として利用されたりする。
 このプラオは、周辺の焼畑休閑林と比較して、一般にバイオマス量が豊富で生物の種多様性が高い。原生林にのみ見られる種も存在するため、焼畑休閑林の植生回復に必要な種子の供給源としても重要な役割を果たしているのではないかと考えられる。  このプラオとその周辺の植生調査と、現地住民によるプラオ利用・土地利用に関する調査を組み合わせることで、森林資源の社会的・文化的な価値を評価するための重要な契機を提供できると思われる。
 ただ、人類学や言語学などを中心にしたイバン研究の豊富な蓄積があるにもかかわらず、このプラオという土地/森林のあり方や利用形態について、人文社会科学的な観点から研究したものは意外に少なく、プラオとは何かという基礎的情報さえ十分であるとはいえない。たとえば、『イバン研究辞典』(The encyclopedia of Iban studies)では、プラオについて次のような解説が施されている。
 「プラオとは、木の島、籐の島、あるいは聖なる樹林などと呼びうるもので、各ロングハウス・コミュニティにとって欠かせない保護地(reserves)とみなされている。コミュニティの成員は、家や船を建造するための木材を、その森からとってくることができたし、鉄製の釘や留め金などの金物類が手に入る以前は、構造物を結び合わせるための籐や蔓もそこから調達していた」(「聖地」、「農業」の項目も参照のこと)。
 また、上記以外にも、精霊や妖怪が住み、人が入ってはいけないpulau mali’(禁忌の森)と呼ばれるプラオもあるという(『イバン研究辞典』の「聖地」の項目)。このような形で、「保護地」や「立ち入り禁止」といったものと結び付けられて語られることが多いため、プラオには保存林や聖地といった、重厚なる森林地区というイメージが付きまとう。
 しかし、実際には、プラオというのは、森林を森林として残しておくべきであるという意志とは別に、時にはそうした意志を上回る開発インセンティブが強く働く場合もある。さらに言えば、「残すべき」「保存すべき」という部分を強調するよりも、「残った(あるいは、たまたま残っていた)」森という程度の意味で捉える方が適切な場合も多い。その意味では、サラワク森林公社のLucy氏が言う「残存林(remnant forest)」という表現の方が、的を射ているかもしれない。
 2013年8月の調査では、KebuluのRh.Ayingの古老に対してプラオの履歴や概要について聞き取りを行うと同時に、Jelalong川流域における、他のいくつかの集落でも、若干の聞き取りを行った。そこで、プラオの概念や利用法にも多様なバリエーションがあることが分かったので、それらを簡単に報告しておきたい。
 以下では、Rh.Aying(イバン集落)、Rh.Jusong(プナン/イバン混成集落)、Rh.Malek(イバン集落)、Rh.Aban(イバン集落)などで得られた、プラオに関する情報について、その概要を記述した上で、とくにRh.Ayingにおけるプラオの具体的な履歴等を紹介したい。

2.プラオの種類
 プラオの概念的なバリエーションという点でいえば、いくつかの集落で異なる見解が得られた。
 Rh.JusongやRh.Malek、Rh.Ayingなどでは、プラオというのは、原生林のみを指すわけではない。かつて焼畑や伐採等で攪乱を受けた森であっても、それらが数十年かけて十分に植生回復しており、周辺の若い焼畑休閑林と明らかに異なる様相を示している場合は、プラオと呼ぶこともあるという。重要なことは、そのプラオから家屋や船を作るための建材を調達できる程度に植生回復しているかどうか、という点であろうと思われる。
 一方、Rh.Abanでは、村のプラオは水源地として利用している場所の一か所のみであるという。彼らが言うには、プラオというのは原生林kampongであるべきで、集落内には、他に十分に植生回復した焼畑休閑林はあるが、それらはあくまでもpengerang(古い焼畑休閑林)であって、プラオにはならないという。なぜ、彼らが原生林にこだわるのかは現時点では不明であるが、いずれにせよ、村によってプラオと呼ぶべき対象が、若干異なっていることが分かる。
 村の共有林としてのプラオは、原則として村の公共(水源地確保やロングハウス建設の建材調達など)のための利用に限られ、個人的に利用したい場合(たとえば船を作る材料を調達したい場合など)は、事前の村落会議で承認される必要がある。これらのルールが破られ、それが発覚した場合には、その違反の度合いに応じたペナルティを支払うことになる。
 一方、上述のような村の共有林としてのプラオとは別に、個人(世帯)のプラオもあると、村人たちは言う。「個人のプラオ」に関して、その土地(森)をどう利用するかは、その個人の裁量にゆだねられる。この個人のプラオは、Jelalong地域ではpulau umaiと呼ばれ、強いて訳すなら「焼畑地(に隣接した)プラオ」とでもいえようか。
 たとえば、ある個人が陸稲焼畑を行うために、数年にわたって隣接する森を順に開いていったとする。それらの土地の占有権は、そこにあった森を切り拓いた彼のものになると同時に、その帯状に続いた土地に隣接している森は、まだ開墾していないとしても、翌年以降に彼が使うであろうという集落内の相互認識のもとに、その個人の利用権が優先される森になるという。しかし、その森を切り拓かずに、翌年の焼畑地は別の休閑林を利用すれば、そこは原生林の状態を保った個人のプラオとなりうる。  このプラオでは、籐の採集を行うこともあれば、価値の高い原木を伐採して売ることもある。また、果樹や籐を植えて半栽培することもある。その一方で、焼畑地として必要になった場合や、まとまった量の商品作物を導入する場合などに、森を切り拓くこともありうるという。
 プラオの大きさについてはまちまちだが、村のプラオが数十エーカー以上の面積を持つことが多いのに対して、個人のプラオは数エーカーのみの場合がほとんどであるという。

Rh. Ayingの集落共有の4つのプラオ
Pualu Sengloiでは一度盗伐が入っており、その際に作られた伐採道路が真ん中に走っている。
Bukit Pantu, Bukit Nagaの正確な位置は要確認。

Rh. Ayingの集落共有の4つのプラオ Pualu Sengloiでは一度盗伐が入っており、その際に作られた伐採道路が真ん中に走っている。 Bukit Pantu, Bukit Nagaの正確な位置は要確認。


3.Rh.Ayingのプラオ
 Rh.Ayingには4つの共有林としてのプラオがある。それぞれに名前がついていて、Pulau Kerepa、Pulau Sengloi、Bukit Pantu、Bukit Nagaと呼んでいる。以下、それぞれのプラオについて概説する。
1)Pulau Kerapa
 ここは、河川から近い湿地林で、Pulau Payaと呼ぶこともある。雨の多い時期には冠水することもあるそうだ。ロングハウスからは、北方向へ約0.5kmの距離にある。推定面積は約3.5haである。ロングハウスから徒歩で15分程度で到着する。
 Pulau Kerapaの周辺は、彼らがこの場所に移住して来る以前、つまり1950年代からHock Seng Sawmill社が伐採を行っていた。Hock Sengの伐採方法は、線路を敷いてkuda-kuda(人力)で引っ張る方式だった。誰が働いていたのかはよく分からないが、MukahやDalatあたりからムラナウを連れてきて使っていたらしい。このあたりのバイ・スガンを使っていたのではなく、「本物の」ムラナウ人を使っていたという。
 彼らがKebuluに移住してきたとき、Hock Seng社の当時のボスであったRobert Kiuに、これ以上、木を切らないでほしいと頼んだという。Robert Kiuはこの村(ロングハウス)にも頻繁に遊びに来て宿泊するなど、村人たちと話ができる人であったという。その時に、村人たちの要望を受け入れる形で、伐採せずに残されたのが、今のPulau Kerapaである。
 2002年にロングハウスが火事になった時は、その後の再建のために、このPulau Kerapaで木材を調達した。そのためか、プラオとしては大径木が少ない。
2)Pulau Sengloi
 Pulau Sengloiは水源地として利用しており、村ではPulau Paipと呼ばれることが多い。ロングハウスから北へ約3kmの位置にあり、推定面積は約12.5haである。徒歩で行く場合は2時間程度、ボートを利用する場合は、1時間半程度で到着する。
 ここは1968年に衛生局(Medical Department)がやってきて、ロングハウスまでパイプを引いてからプラオになった。それまでは、パイプなど必要なく、Jelalong川の水を飲んでいたという。このパイプは、昔はPBC(グレーのビニール管)を使っていたが、2010年に再び衛生局がやってきて、黒いパイプに交換した。このプラオは水源地となっているので、ロングハウスを建設する場合であっても、このプラオから木を切り出すことは禁止している。これはロングハウス内のルールである。
3)Bukit Pantu
 Bukit Pantuは急な崖になっているところがあって、稲作には向かない土地である。逆に言えば、アクセスが悪いので利用されずに森のまま残っていたともいえる。場所はロングハウスから北方向に約5kmの位置にある。
 村人(前村長)の話によると、1983年にこのプラオの木を使いたくて、クチンの森林局から伐採の許可を得ようとしたという。というのも、ここはすでにHock Seng社の商業伐採コンセッションのエリアに入っていたので、自分たちの村の領域(pemakai menoa)とはいえ、勝手に木を切ることができなかったからである。森林局の回答は、Bukit Pantuには3つの伐採ブロックがあって、そこの木を切ることはできないというものだった。1ブロックは80チェイン四方であり、約2.56平方kmの面積である。その伐採エリアの地図や証書は土地測量局に保管されているが、村人にはそのコピーは渡されなかったという。
 クチンの森林局に行ったときは、当時の森林大臣のNor Tahirに会ってプラオ利用の申請をした。その時は、新しいロングハウス建設のための木材を調達したいと思って申請したが、結局認められなかった。その代りに、政府の援助で、製材所から無償で木材が運び込まれたので、その木材を利用して新しいロングハウスを建設した。  その後、Bukit PantuにおけるHock Seng社の伐採権はキャンセルされ(詳しい年代は不明)、ロングハウスの住民も使いたければ、使えるようになった。ここもプラオではあるが、何度か伐採会社が無断で木を切ったりしている。一度は会社を咎めて、ペナルティとして60,000リンギット払わせたが、別の会社が林道を作っていた時は、咎めようと思ったけど、連中は道路づくりを途中で放り出して逃げてしまった。当時は、カメラも携帯電話もなかったので、証拠を残したり即座に通報したりできなかったという。現在では、Bukit Pantuの北西隣はほとんどアブラヤシになってしまっている。
Pulau Sengloiの外観 / The outlook of Pulau Sengloi Pulau Sengloiで採集した籐 / The vines of rattan collected in Pulau Sengloi Pulau Sengloiでの植生調査プロット /  Vegetation plot survey at Pulau Sengloi
4)Bukit Naga
 Bukit Nagaは、Jelalong川を挟んでロングハウスとは反対側にある。ロングハウスからの距離は東に3.5kmである。雨の多い時期には、Jelelong川支流のSepari Besar川をさかのぼり、近辺までアクセスすることが可能であるそうだ。また、Bukit Nagaへの行き方は村の古老たちしか知らないことから、Rh. Ayingの人たちの利用頻度はかなり低いと思われる。Bukit Nagaも大きなプラオだったが、今では小さくなったという。Rh.Malekの人たちがBukit Nagaで勝手に稲作を始めてしまったので、森がかなり失われたというのである。その時、Rh.Malekの人たちを咎めはしたが、それがもとで喧嘩をしたというわけではなかったという。
 Bukit Nagaも、こちら側(Rh.Aying側)が急斜面になっていてアプローチが難しく、Rh.Ayingの人にとっては稲作には向かない土地であった。ここはSepari Besar川の上流域で、Separi Besar川を境にして、南西側がRh.Ayingの領域で、北側がRh.Ugalの領域になっているという。いずれのロングハウスでもBukit Nagaと呼んでいる。Rh.Ugal側のBukit Nagaは、すでに伐採会社のコンセッションに含まれているようで、近いうちに伐採が始まるという話もある。
 なお、このBukit Nagaについては、Rh.Malekにおいても若干の話を聞いたが、Rh.Malekの住民の主張では、本来、彼らの領域であって、Rh.Ayingの人々が勘違いしているだけだという。また、この領域をめぐる葛藤については、何度も裁判沙汰になっているというが、詳細は不明である。
5)その他
 Mekapan川の最上流域には、Bukit Rianという森があったが、そこはすでに伐採会社に切られてしまったという。その森が残っていれば、プラオとして認知されていた可能性は高い。
ブンバン(bemban)で作ったゴザ / A mat made of bemban 籐で作った籠を売る女性 / Women vending rattan baskets 籐で作ったお盆。5種類の籐が使われている / A rattan tray made of five different kinds of rattan vines
4.まとめ
 以上、Jelalong川全体の情報を交えつつ、Rh.Ayingのプラオ(共有林としてのプラオ)について、やや詳しくみてきたが、傾向として次の3点が指摘できるであろう。
 第1に、プラオはたまたまプラオになった場合が多いということである。たとえば、Pulau Kerapaに関して言えば、村人としてはロングハウスの近くに建材調達できる森が欲しかったが、Hock Seng社の企業活動によって河畔林の大部分が伐採されており、当時まだ伐採が本格的に始まっていなかった場所を残してもらうように交渉したという。また、Pulau Sengloiに関しても、衛生局によって水源地指定されて初めてプラオとして意識されるようになったという。同様のことは、Rh.JusongやRh.Abanなど、ほかのロングハウスでも聞かれた。一方、Bukit PantuとBukit Nagaは、こう配が急でアプローチが難しいために、農業利用されることなく現在まで天然林が残存することになったようである。
 2点目として指摘できるのは、プラオは永続的に「保護」されるとは限らず、むしろ容易に拓かれやすいという点である。住民たちがロングハウスの建設等にプラオの木材を利用するという以外に、企業によってプラオの木が合法・非合法に伐採されることもあれば、近隣ロングハウス住民によって焼畑に利用されることもある。また、ロングハウス住民自身によって、プラオが切り拓かれることもある。これは、Rh.Jusongの例であるが、近年彼らはKebulu川沿いのロングハウスから、伐採道路沿いの出作り小屋へと、生活の場を移動させている。それはアブラヤシ栽培の導入や、プランテーション企業の土地開発に対する牽制という意味もあったが、いずれにせよ、彼らが現在アブラヤシを植えている場所は、以前はプラオだった場所だという。そのプラオの土地を村の住民たちで均等に分割して、商品作物栽培へと急速に転換しているのである。Rh.Ayingにおいても、アブラヤシ栽培が浸透した場合、同様のことが起こらないとも限らない。
第3の傾向としていえるのは、外部社会との関係性の中でプラオが意識されることが多いという点である。Pulau KerapaもPulau Sengloiも、企業や政府との関係性の中でプラオの設定がなされた。Bukit Nagaは、Rh.Ayingの人々にとって利用価値があるとは思えないが、Rh.UgalやRh.Malekといった近隣集落との境界が強く意識される場所である。Bukit PantuについてもHock Seng社や森林局との関係性が強く表れていると言えるかもしれない。
 Bukit Pantuに関して言えば、1983年にこの場所の木材を利用しようとしたというが、実はその意図がよく分からない。住民は、かつてはプラオまでいかずともロングハウスの建材調達はできたと言い、プラオの存在意義が希薄だったと思わせる発言をしているにも関わらず、1983年にこのプラオの利用を申請しているのは、おそらくは企業活動の牽制という意味もあったのではないだろうかと推察できる。

 以上、Rh.Ayingを中心に、Jelalong川流域のプラオについて概説したが、まだ分かっていない部分も多い。とくに、プナンやイバンなど複数の民族が混淆している地域の歴史的事情がプラオの設定にどう影響したのか、近年のプランテーション開発の流れの中で、プラオの存続・維持がどのように実現されうるのか、個人のプラオと村のプラオとの関係はどのように変化しうるのか、といった点については、引き続き調査を行っていく必要があると思われる。
藤で工芸品を作る女性 / A  woman prepared for rattan work ヤシ科植物の幹(芯の部分)で作ったスープ / Local cuisine using the core parts of palm plant
Pulau Sengloiでのヤシの採集 / Collecting palm fruit at Pulau Sengloi Pulau Sengloiの水源ダム / A barrage of the upstream at Pulau Sengloi

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