2013/5/21-27クムナ、タタウ川流域視察

【参加者】
鹿野雄一(九州大学工学研究院)
竹内やよい(国立環境研究所)
鮫島弘光(京都大学東南アジア研究所)
Bibian Diway(Botanical Research Centre, SFC, Sarawak)
Jason Hon

(図1:訪問した村の位置)

略称:
Rh = Rumah:イバン語の「村」
Ng = Nanga:イバン語の「河口」。Ng Tau=Tau川の河口
Sg =Sungai:マレー語/イバン語の「川」

5/19
Kuching集合

5/20
Sarawak Forestry CooperationのBotanical Research Centerにて研究計画プレゼン
Forest Department of Sarawak

5/21
Kuching→Bintulu
Rh Gawan:プラウを見に行く・Sebauh川を見る
Rh Limai:Lavang川を見る
Rh Pandan
→Bintulu

5/22
Bintulu→
Rh Anchai:Sujan川を見る
→Tubau→Rh Julaihi

5/23
Rh Julaihi:Saoh川を見る
Rh Aying:プラウを見る
Rh Udau
→Bintulu

5/24
Bintulu→
Rh Irai:Penyilan川を見る
Rh Jantuis
Rh Sigi

5/25
→Bintulu→Rh Mawang

5/26
Rh Mawang:プラウを見る・Anap川を見る
Rh Sayong
Rh Mancha
Rh Gerena
Ng Tau (Rh Sabang)

5/27
Rh Penguhulu Intu
Rh Mat
Rh Nanang
Rh Ado:Mayeng川を見る
→Tatau→Bintulu

5/28-30
Bakun Dam

2013/5/21-27クムナ、タタウ地域視察紀行:竹内 やよい(国立環境研究所)

 ボルネオの民族の村々では、焼畑耕作地の間に小さな規模で森林を残し林産物を採集するのに利用している。この森は、現地でプラウ(“島”の意)と呼ばれている。プラウは、木材・非木材資源だけでなく、焼畑後の植生を回復するための種子の供給源としての役割も担っている。また、原生林もしくは古い二次林であるため、森林性の生物の生育地としてや生物多様性の保全の場としても鍵となる場所である。今年度より、このプラウが景観レベルで地域の生物多様性を保持するかについて、石川プロジェクトに参加して研究を始めることになった。この研究の立ち上げに先立ち、2013年5月下旬、クムナ、タタウ地域の村々を視察、訪問する機会を得た。今回の目的は、この地域の村々がもつプラウの情報を得ること、特にプラウの在・不在を調べて研究サイトを選定することである。旅程と訪問箇所は、京大の鮫島さんにすべてアレンジいただいた。この旅行には、同じく今年度から調査を開始する九大の鹿野さん、クムナ川流域の土地利用区分マップ作成を担当するJason、そして私のサラワク研究のカウンターパートであるBibianが同行してくれた。

 2013年5月21日、ビンツルを始点として視察旅行がスタートした。旅程のうち、前半はクムナ川流域、後半はタタウ川流域を車とボートを利用して移動した。この1週間という短期間で訪問した村は、全部で20村に上る(図1)。その中で、プラウを現在でも保持すると答えたのは14村であった。特に下流の地域ではプラウがない傾向であったように思う。 訪問した20村のうち、多くの村が私たちの訪問を歓迎してくれた。ガワイ前ということもあり、朝からお酒を用意してもてなしてくれたこともある。プラウについての質問にも、快く答えていただき、プラウの位置、どのように利用しているかについて歯に衣着せず話してくれた人々もいた。一方で、私たちの訪問に対して警戒しているような村もあった。過去には、伐採会社が村の権利を無視して、強引に伐採や土地のはく奪が行われたこともあるようだ。そういった経験をした村は、懐疑的になるのも当然かもしれない。私たちのグループは日本の大学や研究所に所属しており、プラウの樹木の多様性に興味があること、伐採目的ではないことを説明しても固い態度を崩すことはなかった。自分たちの目的や意図を村の人に正しく伝えることは、次回の訪問でも大きな課題である。

 今回の旅行で、特に印象的だった2つの村について少し感想を述べたい。まず、2日目に訪れたSg. Jelalong流域にあるRh. Ayingである。この村は、プラウを4つ保持しており、今回訪れた村の中で最も所有数が多かった。木材、非林産物の採集だけでなく、水源林としても利用しているプラウもあるそうだ。この村では、2つのプラウを案内していただいた。一番近いプラウ(Pulau Kerapa)は2000年にロングハウスが消失した際に、ロングハウスを建てるための木材の利用があったそうである。それでもまだDryobaranops, Shoeraなどの大径木は残っており、林冠は高く、古い二次林といった様相であった。もう一つのプラウ(Pulau Sengloi)は、村からボートと歩きで1時間半ほどかかった。このプラウは山間部にあり、焼畑をするのに地形が適さないために残された場所だと考えられる。ここは、水源林としても利用されており、水を採取するパイプが村まで通されていた。案内してくれた村の人に聞くと、このプラウには(食用の)鳥を狩りにも来るそうである。この村は、さらに2つのプラウがあるそうである。そのうちの一つは下流の村と共有しているという。このプラウの利用について、村間でどのような合意があるのか、利用形態は異なるのか、今後調べてみたい。また、この村はロタン細工の工芸品が非常に盛んである。ロタンは、近くの焼畑休閑林だけでなく、プラウにも採集に行くことがあるという。ロタンをプラウからの供給品(生態系サービス)として考えれば、プラウの社会的な意義の研究も可能ではないかと思う。

 もう一つは、最終日に訪れたSg. Tatau流域のRh. Nanangである。この村のプラウはすでに残っていなかった。以前はあったらしいが、とある伐採会社が村の権利を無視してプラウの大径木を勝手に切り倒したため、荒れた二次林の状態となっている。また、過去に4回の火災によってロングハウスを焼失したが、与党バリサンナショナルの支持をしないため、政府から援助を受けていない。こういった貧しい村は、無論伐採会社を相手取って戦うには余りに非力である。伐採会社によって不当に土地や資源を奪われ、政府の補償もなく、彼らの生活や文化が脅かされているこの現実は、あまりに非道であると感じた。
 今回20村を回って実感したことは、村によって社会とのつながり方、考え方がとても異なっているということである。例えば、プラウを残す、残さないかといった問題も、村長の裁量が大きいのではないかと感じた。今回、私たちのプラウ研究に対して肯定的だった村、そうではなかった村、両方訪れることができてよかったと思う。特に否定的な村があるということは、プラウの問題は村の人にとって非常にセンシティブな問題であることを物語っている。この地域の現状を知ることは、これから研究を進める上でも非常に有益だったと思う。 最後に、この視察旅行をすべて計画・実行してくださった、京大の鮫島さんに感謝したい。この地域に関する膨大な知識だけでなく、その企画術、交渉術も大変勉強になった。また、今回一緒に旅をした鹿野さん、ビビアン、ジェイソンにもこの旅行中、何度も助けていただいた。特にこの地域のイバンは、イバン語での会話を基本としており、ビビアン、ジェイソンの通訳なしではインタビューが実現しなかった。みなさん、本当にありがとうございました。



2013/5/21-27クムナ・タタウ地域の淡水魚たち:鹿野 雄一(九州大学工学研究院)

 何よりも差し置いて今回の視察の感想は「やっぱり京大系のフィールドワーカーはスゴい・・・」。私自身国内外の調査地で数多くのフィールドワークを行なっており、それなりの自信はあるつもりだった。しかし鮫島さんと竹内さんの現地での圧倒的な行動力と体力、そして精神力には、久々に(あるいは初めて?)敗北感を感じるとともに、フィールドワーカーとしての自分を見直すとてもいい機会となった。当初、サラワク淡水魚の視察ということだったが、思いがけず素晴らしい研究者たちとの出会いという副産物を得ることができ、感謝。

 さてサラワクの淡水魚だが、一言で言えばマレー半島やメコン・チャオプラヤ流域と「だいたい」同じ、といったところ。地史的にはSundalandとして最近(最終氷期)まで繋がっていたとされるが、改めてそれを実感として確認することができた。しかしあくまで「だいたい」であり、やはり数万年の隔絶を隠すことはできない。同種でもなんか違うなあ・・・といった印象を受ける。とはいえ別種や亜種とは言えず、せいぜい品種くらいの違いで歯がゆい。東南アジアの淡水魚の生物分類は極めて混乱しているが、その理由として多様性が高い上に、この微妙な違いが状況をさらに混乱させている気がする。特に分類学者は細分化したがる傾向があるので、生物学的には同種だが地理的に隔離されていたり、模様が違っていたりということだけで別種にされているものが、おそらくけっこうあるのではないか(図1)。分類学者は生物多様性研究に正確な同定を求めがちだが、しょせん分類学だって人間による恣意的なものであるし、そもそも生物学に誤差は付き物であり、多少正確な分類ができなくとも生態学的な解析や生物多様性の評価は可能ではないかと常々思っている・・・こういうことを言って分類学者にしょっちゅう怒られているのだが。ということで、サラワクの淡水魚についてある程度の精度での生物多様性評価はできそうだ、というのが結論。
図1-1:半島マレーシアのHampala macrolepidota 図1-2:ボルネオのHampala bimaculata (?)、今回の視察で撮影、左のものとは多少模様が違う。
 サラワクの数ある淡水魚の中で、経済的あるいは生物多様性保全の観点から重要と思われる種がいくつかあった。一つは地元では「タパー」と言われるナマズの仲間で、Wallago leeriiとされるもの(図2)。1キログラムあたり20リンギットあたりで売れるらしい。そもそも日本では「100グラムあたり」というのが普通だが、1ケタ違うのが面白い。話を戻すと、このタパー、今でもかなりの量が市場に出ているようだが、かつてはもっと大きい個体がたくさん捕れていたとのこと。もう一つは「セマウ」や「エンプラウ」と呼ばれる渓流性の大型コイ科魚類(図3)。末端では1kgあたり300リンギットにもなるとのこと。これは半島では「ケラー」と呼ばれるもので複数種を含むが、分類が混乱している上、希少種でかつ釣魚や食魚としても人気が高いことから、多くの魚類学者が注目している。
図2:地元民によって釣り上げられた60cmほどのタパー、Wallago leerii。 図3:地元民の携帯電話に残っていたエンプラウの写真。これを売ってバイクを買ったらしい。
 ところで日本では海水魚が食魚として重要だが、熱帯に行くほど淡水魚の食魚としての重要性が高くなる。暑い地域ほど海に比べて内水面の栄養価が高いからだ。それは海と河川を生活史で往来する回遊魚の生態にもあらわれている。たとえば北方系回遊魚の代表選手であるシロザケなどは、河川で産卵し海で育つ。これは海の方が栄養価が高く、大きくなれるから。しかし南方系回遊魚の代表選手であるウナギはまるで逆、海で産卵して河川で成長するのだ。実際に、熱帯の淡水魚は日本の海水魚並に美味しい。このように、サラワクのような熱帯で淡水魚の研究を行うことは経済的・社会的にも価値が有ることだと感じている。

 今回の研究で文化人類学的な視点から注目したいのが、魚のローカル名だ。まず驚いたのが、ローカル名が半島とはまるで違うということ。いろいろ伺ったが、同じものは殆ど無かった。加えて地方によって多様なローカル名がある。ローカル名を知ることでその民族がどれほど魚との関わりがあるのかどうかを知ることができるかもしれない。日本人ほど「種」を区別して「和名」をつけている民族は珍しいとされるが(例えば日本には「標準和名」があるが欧米には「標準英名」はない、少なくとも魚は)、サラワクの人々たちがどれほどローカル名で魚を区別しているのか、など興味深い。

 以上、今回の視察の報告とします。鮫島さん、竹内さん、また、ビビアンさん、ジェイソンさんには大変お世話になりました。

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