“As I Can Remember”  Logie Seman氏講演会報告 2010年10月7日

As I Can Remember: Timber-related activities in Kemena/Jelalong region in the 1980s and 1990s” (Logie Seman氏講演会報告)

2010年10月7日
 2010年10月7~8日に、マレーシア・サラワク森林局のロギー・スマン氏を招へいし、本科研プロジェクトのメンバーとともに、和歌山県有田川町の京都大学フィールド科学教育研究センター和歌山研究林を訪問した。その際、2010年12月に定年退職を迎えるロギー氏に、これまでの森林局での経験に基づく講演を行ってもらうよう依頼した。ロギー氏は1972年にサラワク森林局に入り、以来38年間、おもに森林調査官Forest Rangerとして仕事をしてきた。その間、サラワク各地の森林を見てきたが、1987年からの約4年間は、本プロジェクトの調査地でもあるTubauおよびBintuluでの勤務を経験した。今回の発表では、Tubauでの経験を中心にしつつ、長年現場で働いてきた立場から、Kemena川、Jelalong川流域の木材資源をめぐる状況について語っていただいた。
 ロギー氏が森林局で経験してきた仕事は、非常に多岐にわたる。主なものとしては、木材・森林管理、地方森林行政職、森林生態調査、社会林業普及などがあるが、とくに、オーストラリア医療研究開発プロジェクト(AMRAD)と一緒に行った民族植物学的調査や、高知大学グループとの土壌学的調査は印象に残っている。
 1987年にBintulu地区への赴任が決まったのは、突然で予想外のことであった。家族のことや引っ越しのことで非常に心を痛めたが、決定に従うしかなかった。Tubauでは、町のショップハウスの一角に部屋を借りて、Kemena川、Jelalong川流域での仕事に従事していたが、そのころのTubauは、まだようやく桟橋を築き始めたばかりの、本当に田舎の町だった。

Tubauの桟橋 建設当時の模様 / A landing bridge under construction in Tubau.
 さて、Kemena/Jelalong川流域での主な仕事は、伐採会社が切り出してきた木材を検査し、それらにかかる税額評価を行ったり、規定の伐採量や伐採樹種を守っているかどうかのモニタリングを行ったりすることであった。また、伐採会社と現地住民との間の交渉/係争の仲介や、大臣や政府高官による現地視察のエスコート、現地住民による違法伐採の調査・監視などを行うこともあった。
 Kemena/Jelalong川流域において伐採のコンセッションを持っている(持っていた)主な企業は、以下のとおりである(カッコ内は本社所在地)。

  • ・Rimbunan Hijau (Sibu)
  • ・Samling (Miri)
  • ・Shin Yang (Miri)
  • ・KTS (Sibu)
  • ・Hock Lee (Bintulu)
  • ・Hock Seng (Bintulu)
  • ・Liangti (Sibu)
  • ・Goodwood (Sibu)
  • ・All Keys (Sibu)
  • ・Sebauh Sawmill (Bintulu)

  •  伐採権は、州政府によって与えられ、永久林、州有地、私有地等において付与される。Kemena/Jelalong川流域では、伐採企業と現地住民との間で、それほど激しい衝突はなかったが、両者の間での交渉は一定程度あった。よりシビアな衝突として個人的に印象に残っているのは、同じBintulu地区内ではあるが流域の異なるSangan(Tatau川上流)での、交渉仲介作業である。このときは、銃や山刀を持った住民が伐採キャンプに押し寄せ、恐れをなした企業側の人間は事務所の中にこもったままだったので、森林局職員が住民の意見を聞いて、それを企業側の人間に伝えるという役割を担った。こうした係争を鎮静化するのも森林調査官の仕事の一つであり、1980年代から90年代にかけて、サラワク各地で様々な民族の抗議行動を目の当たりにした。そうした経験の中で言えることは、次のようなことである。

    ・現地住民は自らの土地やコミュニティ林を守るために、また、水質の汚染や森林破壊に対する補償を少しでも多く得るために、抗議行動を起こす。
    ・伐採企業は、数多くの民族のなかでも、とくに遊動プナンに対しては敏感に反応するが、それは、プナンが世界的な注目を浴びていることが影響している。
    ・特に東プナンは、カヤンやイバンなど、他の民族と比べても抗議行動がタフでアグレッシブである。
    ・自分自身の経験で言えば、交渉力の大きさは、プナン>カヤン>イバンの順で、もっとも軟弱で交渉下手なのはビダユである。その他のオラン・ウルは、だいたいカヤンと同じアプローチの仕方である

     一方、交渉をうまく進めることによって、現地住民が伐採活動から得られる利益というのもある。企業側からは、伐採にかかわる補償金compensationのほか、伐採量に応じた手数料commission、村の冠婚葬祭時に支払われる見舞金goodwill money、村長や地元リーダーに対する手当allowanceなど、さまざまなタイプの現金が供与される。そればかりではなく、たとえば伐採道路を住民が自由に使用することを認めるなど、伐採企業は直接的・間接的に住民との関係構築・維持を図り、抗議行動を避ける工夫もしている。
     現地の住民にとっては、企業の伐採活動によって、賃金労働の機会を得ることもできるが、それ以外にも、違法伐採によって現金収入の機会が増えるという点は重要である。Kemena/Jelalong流域には、プナンやカヤン、イバンなど、多様な民族が居住しているが、すべての民族が違法伐採に従事してきたと考えてよい。この地域での違法伐採は、次のようなプロセスで行われてきた。

  • ・雨季になって河川水位が上がる頃を見計らって、事前に河畔の木材を伐採しておく。
  • ・洪水が起こって陸地まで浸水したときに、切り倒しておいた木材が浮いてくるので、それをボートで曳いて河岸まで運ぶ。
  • ・河岸に集めた木材を筏に組んで、中下流の製材工場まで流して運ぶ。
  • ・製材工場で、運んだ木材量・樹種に応じて現金を受領する。

  •  場合によっては、チェーンソーで角材にしてから運ぶこともあれば、住民と製材工場との間をシンジケートが仲介することもあるが、いずれにせよ、1980年代末のKemena/Jelalong流域住民にとっては、非常に重要な現金収入の機会として違法伐採があった。現在では、先住民の領域(慣習地)において売却できる木材が相対的に少なくなったため、こうした違法伐採の活動は以前ほど隆盛ではないが、まだ細々と続いている。

    法材を調査中のロギー氏 / Inspecting illegally logged trees.
     サラワク州政府の木材関連事業に対する方針としては、やはり、税収や雇用、外貨獲得といった面への関心が大きいため、企業による伐採活動が停止することはない。ただ、単に木材を切って売るだけではなく、上流から下流まで、木材にかかわる様々な産業(製材のほか、家具、木製モールド、木質ファイバーの生産など)の育成にも力を入れており、最近では環境へのインパクトを軽減させた持続的森林経営にも配慮している。
     木材伐採をめぐる状況にはいろいろ問題はあるにせよ、Jelalong川上流域は、下流域の各地と比べても木材資源量はまだ豊富にあると、個人的には感じている。この地域での伐採活動は、企業にとっても重要であると同時に、現地住民にとっては、自家消費の建築資材としても、貴重な現金収入源としても、依然として非常に重要であると思われる。
    (報告:祖田亮次)

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